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カテゴリ:話の小部屋( 61 )

私の「闘球」物語。

ああ~やっぱり違うねえ。
昨夜行われたラグビーW杯、ニュージーランド対南アフリカ戦。
ゴールデンタイムのTV放映だったからご覧になった方も多いと思う。
スピード、迫力、パス回し、どれも見ごたえあるいい試合だった。
私は南アを応援していただけに、結果はちょっと残念だったが。
オールブラックス、南アの粘り強いディフェンス?に
前半は攻めあぐねていたかのように見えたけれど、さすがに最後は突き放した。

私は熱心なラグビーファンではないが、スポーツ観戦は好きなので、
国際試合は何でも観る方だ。
ラグビーはツレが好きだし、会社のチームの応援に出かけたりして
数回の社会人チームの観戦経験はある。
生で観る迫力は、バスケットボールに勝るものはないと思っているが
スタンドの応援団の人たちと一緒に盛り上がりながら、
熱い気持ちになって観るのは楽しく、色々教えてもくれるので
負けても充足感があった。
それに全然関係ないけど、バスケをやっていた息子が通っていた整体の先生は
偶然にもそのチームのお抱えだった。




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昨日は一人ランチだった。
ツレは、東海クラシックの2日目、
渋野日向子ちゃんを見に一人で出かけたし・・・・。

冷凍庫のご飯で作ったキノコのリゾット。
本来はお米から炒めて、少し芯がある方が本格的なんだけど
みじん切りにした玉ねぎとにんにくをバターで炒め
昨日お肉を冷しゃぶにするのに使ったお湯にコンソメを入れて
さらに漉したものを入れ、白ワインを少し加えたら、
ご飯とパルメザンチーズを投入。
木べらで混ぜながら、少し乳化させると、いい匂いが立ち込めて
う~ん、芳醇な香りが鼻孔をくすぐり始める。

「まずいわけないよな」と上出来を確信する私^^


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蛸入りキャベツのコール―スローと。

上からヒラヒラとチーズを削ればもっとフォトジェニックだっただろうな。
簡易なチーズおろし器じゃ駄目よね、あのヒラヒラ。
ちょっと欲しくなった、チーズピーラーっていうのかしらん、大げさなやつ。
んでも・・・・よく考えるときっと出番は少なかろうと思い留まる。


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さて、本題はラグビーのはずなのに、前フリが長くなってしまった。

大正生まれのツレの父、つまり亡き義父は大学でラグビーをやっていたと聞いている。
だからツレたち息子二人は小さい頃、神戸製鋼の試合や花園ラグビー場にも
連れて行ってもらったらしい。ツレは結局、中高、野球部だったけれど・・・・・。

思えば私達、昭和40年代から50年代にかけてティーンエージャーだった世代は
「青春シリーズ」のドラマで、サッカーやラグビーに青春をかけることが
熱血高校生の代名詞のように意識に刷り込まれて大人になった。
第一弾「青春とはなんだ」の時は小学生だった私は当時、寺田農さんに憧れたものだ。
モンキーフェイスだけど、あの不良っぽさがかっこよくて、

その後の「飛び出せ青春」とか「われら青春」は、自分もまさにドンピシャの高校生だった。
あの青春学園シリーズ、主題歌もヒットしたけど、当時高校生を演じた役者では
頭師佳孝と保積ペペ以外の高校生役たちはずっと年上だったことにも驚いた記憶がある。
毎週必ず見ていたせいか、現実は全く違うのに、何だか自分も彼らと同じように
暑苦しくもピュアな青春を生きている気になっていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

試合中、選手が倒れたら、アルミのデカい薬缶で水をかける。
するとたちまち彼は立ち上がる。
だからそれはタダの水じゃあない「魔法の水」
・・・・・・なぁんて懐かしいなあ。























by marucox0326 | 2019-09-22 10:44 | 話の小部屋 | Comments(8)

ご飯屋の「ベトナム」

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久しく食してなかったアジアンフード。

数日前に訪れたのは、平日のランチも賑わうこちら。
ベトナム料理店「アンナンブルー」さん。
(栄のお店は閉店しちゃったんだね、こちらは金山駅前店)


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まずはフレッシュ&フライドスプリングロール。
食べ掛けでごめんなさい
ここではスイートチリソースではなく、ピーナッツ味噌だれ。


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ソフトシェルクラブのから揚げ。


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海老と野菜の炒め物、シュリンプチップ添え


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バイン・セオ

もちろんどの料理にもパクチーは入っている。
店によっては山盛りにして別皿で供されることもあるが
ツレも私も「無類のパクチー好き」ではないので、ノープロブレム。



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チキンフォー
ちょっと塩味が強かった。

関西人だからか、ここ愛知県に住まいして37年
時折りだが、いまだ心の中で呟いてしまう・・・・。

「チイとしょっぱすぎなんじゃね?」


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デザートはココナッツミルク・タピオカ入りとプリン。
そしてグアバジュースとパッションフルーツジュース。

ココナッツミルクに入った透明で小粒のタピオカ。
今流行りのヤツより、私はこっちの方が好き。

いやアレね。。。。ぶっといストローで思い切り吸い込んだら
喉を直撃してゲホゴホガホ・・・・・それ以来飲んだことがない。

私にとっては「命に係わる危険な」
(この文言この夏もよく聞いたよね)ドリンクでしかない。


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瓶入りピクルスとヌック・マム

ピクルスは人参と大根の角切り
なんてことない味なんだけど
何故かこれがヤメラレナイトマラナイ。
一人でコリコリガリガリ・・・・
全部食べ尽くしそうな勢いだったのをなんとか押しとどめた。

妊娠でもしてるのかしらん、アタシ・・・・

ムフ、おふざけはこの辺にして・・・・ふと思い出した昔ばなし。



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40年近く前の若かりし頃、阪急宝塚南口駅の
歌劇場からは随分離れた路地の奥に人知れず佇む
いわゆる居酒屋風のご飯屋さん・・・・
といった風情のお店に連れて行ってもらったことがある。

何を食べたのか、殆ど覚えていない。
たぶん、魚の煮つけとか大根の煮物とか青菜のおひたしとか
ごく普通の家庭料理ばかりだったと思う。
そんな中「ベトナム」という名の一品があった。

それは、名前もさることながらおよそその店には似合わない代物だった。
しかし、餃子の皮を伸ばしたような生地に、ハンバーグのタネのような
ひき肉をこねたものを包んで油で揚げ、どんと皿に盛られたそれは
サイズも大きめで食べごたえがあった。
だから、丈夫な胃袋と飽くなき味への貪欲な探究心を備えた舌を持った
20代初めの私には、これがめっぽうウマかったのだ。

時は1980年前後、当時の私にとってベトナムという国は
長らくの戦争で疲弊した国というイメージしかなかった。
今改めて調べても、そのころのベトナムはカンボジア侵攻から
ようやく撤退しはじめたころ。
ドイモイ政策による目覚ましい経済発展を遂げるまで
まだ20年の時を待たなければならなかった。

これってベトナム料理なの?-
同伴の友人に聞いてみたが知らず、気にする様子もない。

ベトナムと言われてもなんら知識もない私は、かと言って
むっつりとだんまりを決め込む、無愛想が作務衣を着たかのような店主に
(もちろん日本人)カウンター越しに聞くのもなんとなく憚られ、
その後その店に行くこともないまま幾星霜が過ぎた。

そして数年前ついに、
私はベトナム風揚げ春巻きを食す機会に恵まれた。
すでにベトナムは日本人にも人気の観光地となっていたし、
世の中はエスニックブームで、タイ料理も韓国料理も
人気のきざしを見せていた。

そしてあの肉汁たっぷりにしてアブラギッシュ、
武骨な面構えででんと皿に盛られていた、
あの店の「ベトナム」とは似ても似つかない、
オシャレに盛られたその揚げ春巻きを口にした時
私の舌には、かつて食べたあの味がすかさずよみがえった。

「ああ・・・この味だ」

そして脳裏にはあの店の光景までもが
おぼろげに一瞬浮かんで、消えたのだった。













by marucox0326 | 2019-09-09 22:53 | 話の小部屋 | Comments(4)

晩夏の吐息。

湿度と熱気の入り混じったねっとりとした空気が
あたりを支配して風も寄せ付けず、ただ体の周りにまとわりつく・・・・
そんな夏の終わり。



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日中につい、ソファで寝入ってしまった。

じっとりと汗ばんだ背中の居心地の悪さに
いっときのまどろみから目覚めると、
掃き出しのアルミサッシの窓から、既に力ない日差しが
それでもその触手を精一杯伸ばすかのように
リビングルームを眩しく覆っている。

胸元に伏せたままの本を取り上げてむっくりと起き上がる。
時計は午後5時を回ったところ・・・・
すっきりした目覚めかというとそうでなく
体は水を含んだスポンジのように重い。




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愛知県は全国一のイチジクの産地。
今年も何度口にしただろう。
大振りの果実が4個で298円。

ブドウもスイカももうそろそろおしまいだ。



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真っ青な空に真っ白な入道雲が湧いて
ギラギラとした太陽が、容赦なく照りつける夏が好きだ。

でももはや私達がかつて愛した夏はいない。



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年々「命にかかわる暑さ」などと穏やかならぬ言い方で
あまつさえ、われわれ人間は毎日のように注意喚起され、
豪雨の脅威にさらされて、若さの象徴のようなこの太陽の季節が
いまやすっかり嫌われ者になってしまっている。



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でも、やがて季節は巡り、「実り」と言う恵みをぶらさげて
優等生の仮面をかぶった秋が、懐ろにやんちゃな台風達を忍ばせてやってくる。

そして暴れん坊の夏は『青菜に塩」のごとく
弱弱しく苦しい息を吐きながら大きな背中を丸めて去っていくのだ。
その後ろ姿を惜しむかのように、夕暮れになると哀しげにひぐらしは歌う。




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私も蒸し暑さに閉口しながら
この時期には毎年繰り言を呟いてしまう。

夏よ行くな・・・・・



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湿った熱気を含んだこんな夏の夕暮れには
哀切でいて情熱を秘めたラテンのメロディが似合う。
だからこんな曲に身を沈めて、夏に別れを告げると、
またとろとろと睡魔が忍び寄り、瞼の重みに逆らえないでいる。














by marucox0326 | 2019-09-03 22:00 | 話の小部屋 | Comments(10)

My heart is drenched in・・・・・

しのつく雨・・・・・・・・
さてこの状況は、勢いよくざあざあと降る雨のことか
しとしと降る小雨のことか・・・。

正解は前者だ。「篠突く雨」と書く。
篠と言うのは細く群生する竹のことで
それらが束になって空から落ちてくるがごとく
激しく降る雨の様子を言う。
語感からか間違って覚えている人が少なくないらしい、
だから上記のようなクイズの問題にもなったりしているこの表現。
聞いたことはあるけれど、正確な意味を知らないままになっている
そんな語句は、改めて漢字で覚えれば意味もわかる、大事なことだ。

また一方、細く糸のように降る雨を小糠雨と言うが、
こちらは春先の小雨に限って言うらしく
それ以外は霧雨というのがふさわしいようだ。

「こぬか雨降る御堂筋~」♪

60代以上の方なら、欧陽菲菲と言う昔の歌手が歌った
「雨の御堂筋」のなかのこのフレーズが
反射的に頭に浮かぶのではないだろうか。
降る雨の中、あなたを探して南へ歩く・・・・・
女性は濡れそぼってそれでも決してこないあなたを探している。
だから来ぬか雨なのか・・・・
漢字で「小糠雨」と書くことを知らなかった当時15歳の私は
そんな風に思ったものだ。




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一方英語では突然降る雨はshower、
にわか雨と訳されることが多いようだが
夕立はevening shower,天気雨ならsun showerと区別される。
(そのまんまですな)
小糠雨のように細くしとしと降っているさまはdrizzling
ざあざあ降ればpouring (「pour」は注ぐの意)
bucketing downもバケツをひっくり返したように降るさま。
raining cats and dogsなんて慣用句もよく知られている。



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ノラ・ジョーンズと言うアメリカの女性歌手の有名な歌
「Don't Know Why」
彼女は、インド系女性歌手として初めてこの曲でグラミーに輝いた。
耳馴染みのよいメロディと、癒しのハスキーボイスが
受け入れられやすかったのか、日本でもヒットした。

私も何度か歌ったことがあるこの曲。
中でもサビの部分の歌詞は印象的だ。
My heart is drenched in wine
このフレーズに差し掛かると知らず知らず感情がこもる。

歌詞では愛する人についていかなかったのは何故だかわからないと
何度も言うこの歌のヒロイン・・・でも多分彼女はわかっているのだ。
だからこそ、心がワインに浸かっているかのように
ずぶぬれになりそうなくらい飲んで、空っぽのドラム缶のような心を抱え
やるせなく酔いに身を任せ、つぶやくように繰り返す・・・・・

I don't know why I didn't come
I don't know why I didn't come・・・・・

う~んいつ聴いても素敵♪



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でも、そこはあまのじゃくmarucox。
今日の一曲は、私も好きな彼女の初主演映画
「マイ・ブルーベリーナイツ」の中から
「The Story」をお届けしたい。

映画の方は、洗練されてないけれど抱きしめたくなるような女の子
エリザベスを演じるノラの雰囲気と、当時はまだイケメンまっしぐらだった
ジュード・ロウが紡ぐ愛の物語。ウォン・カ―ウァイ監督の醸し出す
けだるく甘い映像世界に、キャスト達もいい感じに嵌っていた。

彼女のジャジーでアンニュイな声、汗ばむ初夏の夕暮れにはよく似合う。









※「drench」は、びしょぬれになるとか水びたしになると言う動詞。
  大抵がbe drenchedと受け身で使われる。





by marucox0326 | 2019-07-17 17:45 | 話の小部屋 | Comments(18)

しとしとぴっちゃんしとぴっちゃん♪

このタイトル。懐かしさとともに
「子連れ狼かあ。」とつぶやけるあなたや
「大五郎三分間待つのだぞ」のCMのシーンがすぐ浮かんで
ボンカレーが無性に食べたくなっちゃうあなた。
当時小学生なら、私より下、大学生以上なら私より上の世代。

でも今回そんなお話をしたいのではない。
なのにこんな、わき道から入り込むような反則技を
ぶちこみたくなっちゃうのが、marucoxの哀しい性である。



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「雨」と言うと、なにかネガティブな印象を抱いてしまいがちだが
映像や音楽といったアートの世界では、マイナーな材料にばかりに
使われているわけではない。

代表的なのは「雨に歌えば」のジーン・ケリーの底抜けの明るさだが、
私には、「ショーシャンクの空に」の主人公、
ティム・ロス扮する元銀行員アンディが、雨を全身に浴びて
自由を獲得した喜びに満ち溢れるあのシーンが、美しく感動的で忘れられない。



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日常においても、
雨に降られちゃった・・・・・
そんな経験、それ自体は誰の身にも珍しくないことだ。

ちょっと甘酸っぱい思い出
哀しく胸が切なく痛む思い出
笑わずにはいられない愉快極まる思い出・・・・・・

さてあなたの心に刻まれた『しとしとぴっちゃん』は
どんなだろう。



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私は土砂降りの中、雨に濡れながらベビーカーを押し
家までの数分、多分3・4分ぐらいだっただろうか
・・・・歩いたことがある。
それは突然の予期せぬ雨だった。
晴れ渡っていた空が、にわかにかき曇り、
ポツンポツンと大粒の水滴が落ちてきたかと思うと
バラバラと音をたてて、激しい雨が私達に襲いかかった。
舗装されていない田舎道とはいえ、雨宿りできる民家の軒先は
探せばあったのかもしれないが、家までもう少しだからと
ベビーカーに覆いをして歩き続けた私。

目もまともに開けられない中、ややうつむき加減で歩く私の横を
水しぶきを上げて、車が何台か通り過ぎていく。
しばらくして見覚えのある一台が前から走ってきたので
思わず顔を上げた私は、ドライバーとふと目があった。
その車を運転していたのは、同じ年頃の子を持つ近所のお母さん仲間だった。
一瞬だったが、確かにこちらを一瞥したことを今も覚えている。
そしてその車も走り去って行った。

私だとはわからなかったのだろう。それに・・・・
びしょぬれの人間とベビーカーを、大雨の中
道の真ん中で乗せたりするわけにはいかないよね

そう心の中で呟きながら、
私は、あともう少しと自分を励まして歩き続けた。
ただ、体より心が冷え込んで行くのを感じずにはいられなかったが。

家に着くと、申し合わせたように雨は止んだ。
その後どうしたのか、全く記憶はない。ということは
多分普通に着替えもし、赤ん坊だった長男も熱も出さずに済んだのだろう。

けれど玄関のかぎを開けるときに聞こえた
ぴたん、ぽとん、しとぴっちゃん
そんなふうに雨のしずくが落ちる音が
私の周りでやけに大きく耳に響いていた
そんな事だけはなぜか覚えているのだった。

さて、湿っぽい話のお口直しに
サイコーに幸せな気分になる『土砂降りシーン』を。
長いので、お時間ある方は最初から
お時間のない方もテキトーにはしょってご覧あれ♪













by marucox0326 | 2019-06-19 20:00 | 話の小部屋 | Comments(12)

六月の棘

六月に入った。

ふと思い出して、レイ・ブラッドベリの「タンポポのお酒」を再読した。
あれはたしか、始まったばかりの夏の数か月の物語だったはずだから。

頁をめくると12歳のダグラス・スポールディングが
今まさに目覚めようとしているところだった。
そして1928年の6月の香しいひと夏の扉が開き、
私を手招きしていた。




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ブラッドベリの著作との出会いは大学に入ったばかりの10代の終わり。
初めて読んだ彼の小説がこの「たんぽぽのお酒」だった。

相変わらず日本の文豪とよばれる作家のものより
翻訳小説が好きで、米文学にも親しみだし始めていたころ。
E・コールドウェルの「タバコロード」に感動し
サローヤンやサキが大好きで、同時にハヤカワミステリーもいくつか
ウィリアム・アイリッシュなどはいっとき嵌って立て続けに読んだものだった。
そしてこの小説も、タイトルに惹かれて手にしたのだ。

ただタイトルから受ける印象ほど彼の小説は甘くなく
読破するには半端ない時間を要した。
何故なら、「サイエンスファンタジーの詩人」と呼ばれる彼の文章は
登場する物や人、事象の記述が、いちいち凝った形容や直喩で綴られていて
しかも翻訳の持つ表現の一種の癖(この感覚は嫌いではないのだが)も相まって
外国文学を好んで読んでいた私をも少々手こずらせ、
読書の楽しきに到達するのは簡単ではなかった記憶がある。

頁を行き来して何度か読み返し、やがて内容を、情景を、
登場人物たちから発せられる言葉以上の意味を、私なりの想像力で膨らませて
脳内のキャンバスに、なんとか描けるようになったとき、
物語は色づき始め、頁を繰る指さえも、もどかしさから解放されていったのだった。

ただ、この物語で描かれる夢とうつつを行き来しているかのような
いくつかのエピソードは、12歳の少年の目に老いと死をもって
生きることの実感を強く認識させていく。
それは読み手である私にも、ほんの小さな棘がチクチクと肌を刺すように
美しくも残酷な余韻を心に残して。




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なかでも、二人の老婦人の話は特に味わい深い。

そのひとり、72歳のベントレー夫人と少女たちのやりとりのくだり。

ベントレー夫人に、容赦ない言葉を浴びせる少女たちの辛辣さは
子供とはいえ、すでに無垢の仮面をかぶった「女」である。
初めて読んだとき、少女たちの態度にある種の痛快さを覚えながらも
その不遜さにも反発してしまうという、相反する感情に戸惑い
そしてベントレー夫人には、哀れと滑稽を感じた若き日の私。



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「少女たちは正しいのだよ」

少女らが帰った後
一人残された彼女に、そう亡き夫が語りかける。

「(略)おまえは日付でも、インクでも、紙でもないんだよ。(中略)
 お前はただ、ここにいる。おまえー現在のおまえであるだけさ。」
 
初めは少女たちの言動に打ちしおれていたベントレー夫人だったが、
翌朝、彼女の美しい思い出の品をいただこうと再びやってきた少女たちにこう言う。

「略)なんでもあなたたちのものよ。」

残ったトランクの中の物を処分し、わずかに残された夏を
少女たちと老婦人は彼女の家の玄関ポーチに座って
チョコレートキャンディを食べておしゃべりをして過ごす。

再読して、このくだりにやっぱり立ちどまった。
でも前述したような感情は抱かなかった。
もう若くはない今の私はむしろ、彼女に喝采とエールを送りたい思いだった。

「少女たちは正しいのだよ」

私にもあった、今よりずっと綺麗で輝いていたあの日たち。
それらを、心の鍵を開けて追い出すことは私には到底できない。
でもそれにまつわる品物たちに執着するのは
そろそろ止めるときが近づいているのかもしれない。

ベントレー夫人が美しい髪飾りを、指輪を
少女たちにあげてしまっても
バラ色の頬で微笑んでいる自分の少女の頃の写真を葬りさっても
彼女は老境の自分自身を鮮やかに生きていける。
だから今は、その言葉に半分は同意してもいい気がしている。

ああただし、ベントレー夫人より10歳近く若い私が
同意できるのはあくまで半分だ。

なぜって私には、もう少しジタバタする時間が残されているはずだから。




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さらにもっと好きなエピソードは、もう一人の老婦人、95歳のヘレン・ルーミスと
若き記者、ウィリアム・フォレスターの短い夏の出会いと別れだ。

彼女との会瀬の中で、その老いてこそ身に着いたエレガンスと深い造詣に
大いに魅せられる若きウィリアムと、教え諭す中で時折、昔日の想い出を
自嘲の苦笑いを交え話す、ミス・ヘレン・ルーミス。

きっとその間、彼女は紛れない今を生きている実感に
慄き、そして喜びに震えていたに違いない。
そしてそんなどこか時空を超えた、彼らが交わす洒脱な会話の中にも
垣間見えるやがて来る死の影、
ウィリアムは、かつての美しい横顔を
深く年輪の刻まれた彼女の面差しに見ようとして、
彼女を涙ぐませてしまったりもする。
そして彼女は言う。

「年をとりすぎるまで生きないと約束して欲しいのよ、ウィリアム」

やがて幾人かの死人が出た夏は終わり、永久に去っていく。
地下室に並べられた、たんぽぽのお酒の瓶の一つ一つに書かれた数字だけが
あの夏の確かな日々の証となって。




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パタンと閉じた本の背表紙を見つめ、
そして顔を上げれば、窓外には夕闇が忍び寄ってきている。

物語の中の夏が、ゆるゆると遠ざかっていくのを見送って
さあ、現実世界に戻るとしよう。






































by marucox0326 | 2019-06-04 09:56 | 話の小部屋 | Comments(8)

元の木阿弥・・・・・。

昨夜の「ブラタモリ」大阪だというので楽しみにしていた。
道頓堀周辺を歩くタモリ氏。
意外にも仕事以外でこの街を訪れるのは初めてだという。

私はといえば、よく知っているなつかしいはずの映像なのに
どの場所も随分変わってしまって、なんだか知らない街みたいで切なかった。



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さて・・・・・

ある平日の昼下がり、某所某デパートのキッチン売り場に私はいた。
地下で進物用のお菓子を買った後、せっかく来たのだからと
特に買うべきものもなかったが、いろいろ見て回った末に
キッチン・インテリア用品を置く階にも寄ったのだった。
台所用品や食器を見るのは楽しい。

なんとはなしにコーヒーメーカーを眺めていると
突然「お客様、靴紐が・・・・・・」という声がして、
一人の女性店員の方がツカツカと近づき
やおら私の前に膝まづいたかと思うと
ほどけかけた靴紐をほどき結びなおし始めた。

「あ、ああ、あのそんな、自分でやりますから」と
慌てふためく私のことなど意に介さず
「いえいえお気になさらず」とか何とか言いながら。

その日私は、ジーンズに牛革の白いレースアップシューズを履いていた。
細い革製の紐は、スニーカーよりほどけやすいのは確かだが
脱ぎ着がしやすいため、いつもやや緩めに結んでいるのだ。

でも彼女・・・・スレンダーボディに黒縁の眼鏡をかけた
いかにも几帳面そうなその女性店員の方には
それは許せない履き方だったに違いない。



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「リボンを結ぶ時もこのように二重になさると、さらにほどけにくいですから」
「はあ、なるほど・・・・あ・いやあのホントにスミマセン。」
なんで謝っているのか自分でもよくわからないが、
とにかくこちらは固まった姿勢でつったったままそういうしかない。
彼女のほうは膝まづいた姿勢のまま、私の足元に顔を落とし
一心に「靴紐結びの儀」を執り行っている。
やがて彼女は、丁寧に右足をやり終えるとさらに左足に取り掛かり始めた。

ああ~なんと時間の経過の遅いこと。
この時ほど、足が二本ある事を恨みがましく思ったことはない。
なにせ、眼前で膝まづかれたことなどプロポーズの時以来だ。
ウソですよ~~~~~~~。ココ、突っ込むとこ違いマッセ~~~~~

私は漫然と彼女の頭部を見つめるしかなく
つま先がつりそうになりかけたころ
ようやく左足も結び終え、彼女は立ち上がった。

私はぺこりと頭を下げてお礼を述べ、何も買わずにその場を後にした。
あとから、コーヒー豆の紙フィルターぐらい買うべきだったかとも思ったが
その時は、その場から解放されたいばかりだったのだ。

しかしおかげでその帰り道、靴紐は一瞬たりとも緩まずほどけず
私の足の甲には、きゅっと絞られたような感覚が終始付きまとった。




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帰宅後、玄関でいつものように靴をそのまま脱ごうとした私だったが
もちろん、しっかりとした靴紐の結び目がそれを許して呉れようもなく、
私は框によっこらしょっと腰かけて、靴紐をほどかざるを得なかった。

それから数日が経過した今、
靴紐がほろりと緩んだ白いレースアップシューズが
玄関に置かれている。

何故って今日も履いて出かけたのだもの。



































by marucox0326 | 2019-05-19 18:30 | 話の小部屋 | Comments(10)

大岡山の担担麺

先日「わたし、定時で帰ります」という民放のドラマを
何とはなしに見ていたら、最後にヒロイン吉高由里子と
その彼氏役の中丸雄一が、東急「大岡山」駅で待ち合わせる場面が写った。

この駅の真ん前に長男が通った大学がある。
何だか懐かしくて、思わず目を凝らしたが、
ただ駅の名前が写っただけですぐに場面は切り替わった。


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当時、目黒区内の・・・・といっても
商店街のある下町の古い小さなビルの一室に下宿していた長男。

彼は友達にどんなとこに住んでるの?と聞かれると
「刑事ドラマでサ、『いるのはわかってんだ!!開けろっ!!』って
怒鳴りながら、ガガガガンってデカがドア叩くようなとこ」
と応えていたらしい。



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地方から出てきたピッカピカの大学一年生は
愛車である中古の自転車を駆って、通学もコンパも買い物も
そして遊びにもどこへでも行った。見るもの聞くもの何もかもが刺激的で
都会育ちの同級生さえ眩しく見え、夢のように過ぎた数か月後
田舎の素朴な青年であった彼は、仕送りだけでは到底事足りないことに気づく。
家庭教師・・・・なんていう地方青年にふさわしい授業の合間の仕事も
少しはやったものの、いつしか昼夜を問わず、飲食店でのアルバイトに精を出す毎日。
彼にとって額に汗して働けば働いただけ、その対価として報酬を得るという行為は
初めての経験だったが、それは頭脳労働よりも彼の性分に合っていたし
なによりも、その職場で出会う人たち、接客の仕方や厨房のなかの決まり事など
すべてが目新しくエキサイティングに満ちていて、
それらはたちまちにして彼を魅了したのだった。
すっかり労働の歓びに目覚めたこのヒト、大学のサークルにだけは熱心に顔を出すものの
学生の本分である勉学の方は、当然のことながらすっかりおざなりに。。。。

そしてまた、彼は愚直な世間知らずでもあったので
大都会東京のまさに生き馬の目を抜く社会のただなかに
自ら望んで飛び込んで行ったものの、少々怖い目にも
とてつもなく心細い目にもかっこ悪い目にも何度か遭ったようだ。
が、親の私はいまだ詳しくは知らない。
しかし多分、それらを追求し微細に至るまで白日の下にさらすことは
しない方がきっとお互いのためだ。
何故って子供だからといって、いや子供だからこそ
親には永遠に話したくない事柄の一つや二つはあるものだと思うから。

ああでもそれ以前の問題として、アレはまず親に連絡をしてこなかった。
そしてこちらからの電話やメールにも、なかなか応じなかった。
だから、当初は随分やきもきしたものだ。
心配は度が過ぎると怒りに変わる。
そんな風だから、ダメもとで掛けた電話にたまたま出たりすると
ついがみがみ言ってしまい、私の方が自己嫌悪に陥るのが常だった。

そのうちいつしかそんな状況にこちらも慣らされてしまった。

「元気ならいいや・・・・」



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とはいえ、私も時々は偵察を兼ねて下宿を訪ねた。

そんな時は一応「行くよ」と連絡はするのだが、彼からは
「僕いないけどそれでよければ」ほぼそんな返事だったから
行くと冷蔵庫を食べ物で満たし、掃除洗濯をし一人彼のベッドで寝て
日中は彼の下宿を根城にして、東京のあちこちに一人で遊びに行ったりしていたのだった。
そして息子とは会わないまま帰る・・・・そんなことがよくあった。

つまりこちらも、健気に尽くして帰らない亭主をひたすら待つ・・・・・
などという、そんな昭和の新妻のごとき母親でもなかったのだ。



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「僕の好きな店は、お母さんにはレベル高すぎだから大学の近くの店に行こう。
 あ・でも誰か知り合いに会うかもな・・・・まっいっか。」

れは長男が学部2年生の時のことだった、遠方からはるばるやってきた
この『無償の家政婦』である母親に、んと珍しくご馳走してくれると言う。

当時辛いものブームで、私も「食べるラー油」にドはまりしていたのだが
まだ担担麺というものを食べたことがなかった。
そして彼はこの時すでに、お尻が痛くなるほどの激辛マニアになっていた。
そこで私は「キミのおススメの担担麺を食べさせてよ」とリクエストしたのだった。

「大岡山」駅で待ち合わせて、夕暮れの通りを歩いて行ったその店は
どんなだったか・・・・・・店内の様子も担担麺の味すら思い出せない。

ただ、その店までを息子と並んで歩く道すがら、見上げた夜空に
まんまるな銀色をした綺麗な満月が出ていたことだけは、15年たった今も
ぼんやりと脳内スクリーンに浮かび上がらせることができるのである。
あたかもモノクロの映画のワンシーンのように。


























by marucox0326 | 2019-05-04 20:21 | 話の小部屋 | Comments(24)

食いしん坊のルーツ

春巻きお好き?


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英語で「Spring roll」・・・・・・まんまやん。
中国では春先に出回る野菜を巻いたことから
この名がついたらしいが、今回は中身に春雨を入れ過ぎたかも。

若いころ、何度か友人たちと訪れた
居酒屋風の夜しか営業していない店のメニューに
春巻きに似た「ベトナム」という代物があった。

皮の中身はひき肉で、巻き方も少し変っていたが
若い私たちには、ボリュームがあって美味しく頂いたものだ。
何故「ベトナム」なのか、聞いたような気もするが
忘れてしまって思いだせない。多分、大した理由はなかったのだろう。
店主も料理もこだわりが感じられそうなものはなく
安くておいしい、気楽さが売りの店だったから。

子供のころは、家族で外食というのは特別なイベントだった。
高度成長期に食べざかりだったわれわれ世代は、インスタント食品もあったが
今のように種類もなく、質より量、ほぼ「お母さんの手料理」で大きくなった。

そして食いしん坊の芽というか、私の料理に関する興味は
かなり小さい時からあり、小学生の時、自分でてんぷらを作ったことがあった。
イスに乗って油の入った鍋と格闘したのに、揚げられたサツマイモや玉ねぎは
固くて生っぽく、食事の際泣いてしまったことを覚えている。





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春雨サラダと鰤の照り焼き、ハマグリのお吸い物。

鰤の切り身が年々小さくなるのはどこもそうなのだろうか。
最近は鰤しゃぶ用とか、鰤のお刺身が良く出回っているのは
そういう事情もあってのことなのだろうか。

私は照り焼きにしたものが一番好物なので、ちょっと悲しい。

ちなみにハマチと鰤ではお刺身にした時の味わいが全然違う。
鰤のお刺身は、どうも私には脂が多すぎるしツレさえあまり好まない。



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さて・・・・・
むか~しむかし、あるところに一人の飲兵衛がいた。

職人上がりのその人は私の父方の祖父で
彼は朝からお酒を飲む人だった。

その祖父の好物こそが、まさに「鰤の照り焼き」
朝から一人だけ、一杯やりながら舌鼓みを打っていた。

その醤油とみりんと魚の油が熱されることで醸しだされる
香ばしくなんとも蠱惑的な匂いは、朝の清冽な空気の中に
場違いのように漂って私の鼻孔をくすぐり、
まだ味覚の発達途上にある幼な子の脳細胞に、強烈に刻みつけられたのだった。

昔は養殖もなく高級魚だった鰤・・・・
当然、その時4・5歳だった私は食べたことがなかったのだ。

だから、実際のところ、本当に祖父が「鰤の照り焼きが大好物」
だったのかどうか・・・・・
それは私がそう思いこんでいるにすぎないのかもしれない。
しかし、少なくともその時の匂いの記憶はゆるぎないもので、
私が、この魚を好物になった一因であることは間違いないのだ。




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祖父は堅物の父と違って、着道楽で食道楽なうえ
当時としてはハイカラで物欲の激しい人だったらしい。

お酒と、酒肴を準備するのは母の役目だったのだろう。
母はそれがとても嫌だったと、何度も聞かされた覚えがある。

多分、一人だけそんなことが平気で出来るのも
まだ家庭内に厳然として、家父長制があった時代だったせいもあると思われる。
さらにそれは簡単には崩れず、その後祖父母が亡くなり4人家族になっても
さすがに朝から一杯は無くなったけれど、父はそこだけは遺伝子を受け継いで
毎晩、夕餉には晩酌をし、おかずが私たちよりも一皿二皿多かった。

そしてその、おかずというにはあまりにスペシャル感が半端ない料理を
私達子供は見て見ぬふりをして、ただ黙々と与えられた食事を口に運んでいたのだった。



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「結婚したら、ご飯のおかずが父親だけ特別なんて事は絶対しない。」

かくして、そう固く心に誓った私は、
やがてスポーツに明け暮れる中高生の息子たちには
品数を多くするという母親になり下がった。

そして未だ、たまに彼らが帰省すると、さらに単価の上がる食事を提供し、
そのための金銭も時間も労力も惜しまない、親バカぶりを発揮している。







by marucox0326 | 2019-03-07 21:35 | 話の小部屋 | Comments(6)

夢見るギター弾きにはなれない。

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kissという名のチョコレート。
私が生まれるずっと前からあるけれど、
一粒ずつ銀紙に包まれたこのフォルムが
可愛いいッたらありゃしない。



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思い出すのは「kiss Me」というポップスソング。

Sixpence None the Richerというアメリカのバンドが歌って
日本でもヒットした、歌詞もメロディもとってもキュートなこの歌を、
そんなキュートさはとっくの昔に置きざりにしてきたアラカンの私が
現在の我が身も顧みず、数年前に発表会で歌った。

われら寄せ集めシニアバンドに、アコースティックギター君が新加入した時
前奏のアコギのリフが印象的で、コードもメロディもシンプルなこの曲どう?
と提案したのは私だった。

でも、あの時はちゃんと暗唱できたのにすでにもう忘れている。
そして歌詞をどんなに覚えても、悲しいかな、しばらく経つと
全然出てこなくなるのはこれに限ったことではない。

悪あがきに聞こえるかもしれないが、その理由の一つとして
発表が終わってしまうと、鼻歌ですらその歌を歌わなくなってしまうせいかもしれない。



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中学生ぐらいの時、ギターの弾き語りで覚えた曲がある。
ご存じの方は少なくなかろう。あのオードリー・ヘプバーンが
「ティファニーで朝食を」の中で歌った「ムーンリバー」だ。
ヘンリー・マンシーニの名曲で、こちらは今でもソラで歌える。

古い記憶は健在なのだ。

そう、彼女演じるホリーが窓辺に腰かけて
ギターをつま弾きながら歌う有名なシーン。
頭にターバン状の白いヘアバンドをして
さりげないジーンズスタイルの彼女が、
その大きな瞳を物憂げに曇らせながら、夜空を見上げて歌いだす・・・・
片足を窓の外に巡らされた階段の踊り場に乗せて・・・・

ああ~ニューヨークのアパートメントには、外壁に階段があるのよね。

他にも映画の中では、どれだけこの外階段が有効的に使われているか。
たとえば。。。。。
「プリティ・ウーマン」(1990年米)では、富豪のリチャード・ギアが
「ロミオとジュリエット」を気取ってここを駆け上がり、
ジュリア・ロバーツにプロポーズしたし
「ニューヨークの恋人」(2001年米)では
メグ・ライアンが住むアパートメントで、窓伝いに行き来する
登場人物の描かれ方のなんと愉快でステキだったことか。

本当に・・・・・なんという不用心さ!
そしてなんというロマンティックさ!





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中高生の頃、私もご多分に漏れずギターを持っていた。
そして簡単な曲を弾いては、勉強もせず歌ってばかりいた。
そして2階の私の自室にももちろん窓はあった。
が、残念ながら窓辺でギターをつま弾くなんてことは永遠に夢だった。

だってアルミサッシにガラスを入れ、網戸も着いたその窓は
表の道路に面した単なる腰高の窓でしかなかったから。
そんなところに、ギターを抱えて腰かけたりしたら
たちまちバランスを失って落ち、通行人を巻き込んで
えらい騒ぎになることは目に見えている。

さしずめ、コメディ系ホラー映画にはなりそうだけれど・・・・^^;。




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by marucox0326 | 2019-03-06 12:48 | 話の小部屋 | Comments(12)

照る日もあれば曇る日も・・・。そんな日々の戯言です。


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