トリガイとわかめ、菜の花のからし酢味噌添え
食卓にも春の食材が並び始めた。
トリガイは当地愛知県下に住まいしていれば、
三河湾の名産でもあるので、比較的新鮮な物が手に入る。
息子二人がいたころは季節感は度外視して質より量だったが、
ツレと二人なら、さほどボリュームのある料理は必要ない。
「作る人」は私しかいないので、相変わらず肉食で健啖家のツレの思惑をよそに
私の好みで、野菜中心、和食の多い我が家である。
とはいえ、さすがにこれだけというわけにはいかない。
さて他に何を・・・・と思案していると、夕飯要らないのメール。
二人分の食事の用意が一人となると、とたんに作る気は失せる。
私一人なら、ご飯の支度よりビデオでも観るかと・・・・・・。
そしてついでにお菓子の缶にも手が伸びる。
選んだのは、大好きな「メゾン・ド・ヒミコ」(2005年 犬童一心監督)
amazonプライムのウォッチリストに、たまりにたまった映画の新作を見ずして
もう3回目にしてまた観てしまった。なんだか、今日はそんな気分だったのだ。
柴咲こう扮する沙織は、家族を捨て伝説のゲイバーのママとなった果てに
今は病床にあって余命いくばくもなく、自らが建てたゲイの老人ホーム
「メゾン・ド・ヒミコ」に年老いたオカマたちと暮らす「父」ヒミコの世話を
彼の若く美しい恋人であるオダギリ・ジョー扮する春彦に頼まれる。
沙織は海岸べりに建つ、まるでラブホテルのような外観の
「メゾン・ド・ヒミコ」を訪れたものの、それは多額の借金を背負った彼女が
高額な報酬にやむなく引き受けたまでのこと。そんな父親を決して許すつもりはなく
老いたゲイたちを理解するでもなかったのだったが・・・・・
このドラマはファンタジーな要素をおよそ持っていない。
田中泯さん扮するヒミコは、天蓋のあるベッドと白い調度で設えられた
海の見える部屋で、ユリの花を飾り、ローブを羽織って頭には白いターバンを巻き
優雅に現れるけれど、正直枯れたお爺さんでしかなく、全然ゲイには見えない。
しかもほとんど無名の役者さんたちが演じた他のオカマたちも
キレイなお姉さん風の人は一人もいない。
にもかかわらず、なぜか、奇妙なおとぎ話にも似て
心地いい風に吹かれたような不思議な味わいがあるのだ。
そして見た目は普通のオッサンでしかない性的少数者であるゲイたちが
いつしか愛らしく見えてしまうのは、犬童一心監督の作り出す世界観が
彼自身大ファンの漫画家大島弓子さんのそれに通ずるものがあるからだろう。
やがて終盤、いよいよ死期が迫るヒミコのベッドの傍らで
沙織は感情を爆発させて恨みつらみをまくしたてる。
その時、娘に弁解もしなければ、赦しを乞うでもなく
ただじっと聞いているだけだった彼女(彼?)は言うのだ。
「でも一言だけ言わせて。私はあなたが好きよ」
犬童監督作品は「ジョゼと虎と魚たち」を観たのが最初だ。
こちらも私はやっぱり泣いてしまい、いつまでも心に余韻の残る作品だったが、
後から読んだ田辺聖子の原作と印象が違い、主人公の二人が
映画の方がやや感傷に流れ過ぎる気がしていたが、
「メゾン・ド・ヒミコ」の方は、ずっと突き抜けた爽快感があって
鑑賞するたびに、人間への愛おしさで胸がいっぱいになる。
唐突にダンスシーンがある展開も、映画ならではで好きだし
まだ当時は今ほどLGBTに関する映画は少なかったせいもあり、
その部分の描かれ方は浅いのかもしれないが、彼らの普通の暮らしが
可笑しくも生き生きとして、いつしか沙織と同じ暖かなまなざしで
彼らを見ている自分に気づかされるのだった。
とりわけ私が大好きなのは、お盆の夜のシーンだ。
死者の霊を迎える準備をする「メゾン・ド・ヒミコ」の住人達。
各々が故人の写真を持ち寄って飾り、ナスやキュウリに楊枝を刺して
馬や牛に見立てる様子を興味深げにながめる沙織に春彦は言う。
「毎年この夜はみんなで歌を歌うんだよ」
春彦がタクトを振り、オッサンたちがバルコニーで歌う
ドヴォルザークの「わが母の教え給いし歌」
上手くも美しくもない歌声が静かに心に沁みていく・・・・・。
↓では美しい歌声で・・・・。