先週末のこと。
ツレと二人の実家詣で。
この西宮浜ヨットハーバー近くにある老人ホームに
90歳になる義母はお世話になっている。
この辺りは埋め立て地なので、
陸側には高層マンションが立ち並び、
スーパーマーケットや病院などもある。
住人にはファミリー層も多く
六甲アイランドよりはやや庶民的なイメージ。
「太平洋ひとりぼっち」
映画化もされたこの手記を若い方はご存じないかもしれない。
実際はもっと陸側になるがこの西宮浜は、
その著者である堀江謙一氏が、小さなヨットで漕ぎ出した場所。
遠くに見えるのは会員制の高級リゾートホテル。
義母を尋ねるときは、
昼食のために外出許可をもらって彼女を連れだす。
車で街中に出ることもあるが
シーサイドにあるこちらのレストランで済ませることが多い。
義母は車椅子なので、広いスペースがありランチメニューも豊富なここは
我々にとってはまことに使い勝手がいいのだ。
週末ともなれば、ファミリーやヨットマンたちで賑わう店内は
天井が高く開放的だし、何といってもこのロケーションである。
特に夏場はとても気持ちがいい。
これは堀江謙一氏の乗った「マーメイド号」を模したもの。
堀江謙一氏がこの浜からわずか全長6メートル足らずの小型ヨットで出帆し、
サンフランシスコまでの単独横断航海に成功したのは1962年。
私はまだ6歳で、センセーショナルに伝えられた当時はよく知らない。
なにせ1962年といえば、日本ではまだ海外旅行も自由化されていない時代。
円は360円の固定制、しかも海外への持ち出しの規制も厳しかったらしい。
戦後17年、若者にとってアメリカは強い憧れの場所だったと想像する。
ヨット好きな堀江青年にとっても。
当時ヨットでの渡航は、国が認めていない「密(出)入国」にあたり
当然パスポートはない。彼の行動は世間からは批判を浴び
家族からは捜索願が出され、仮に無事にどこかの港に着いたとしても
強制送還されるはずだった。
にもかかわらず、彼がついにサンフランシスコの港に辿り着くと
アメリカ人たちは彼を称え、名誉市民として滞在を認める。
市長は「コロンブスもパスポートは省略した」と言ったとか・・・・・・。
すると日本のマスコミも国民も手のひらを返して彼を称賛、一躍時の人に。
多少、私のアレンジが入っているが(苦笑)
ウィキペディアには、まあこんな風なことが書かれている。
これだけを見ると、堀江氏の行動は危険なことである以上に
当時の日本の常識を超えるかなり強行突破の暴挙に思える。
私が「太平洋ひとりぽっち」を読んだのは多感な10代半ば。
多分、タイトルに魅かれて予備知識もなく手に取った気がする。
詳細は忘れたが、お金も語学力もない一人の若者の無謀な挑戦は
当初家族から大反対され、それでもコツコツと資金をため
身近な数人に見送られて出航したことや
台風に何度も襲われ、精神がおかしくなりそうな状況を耐えるため
もう一人の自分を作って対話したことなど、たった一人で
孤独に向き合った93日間はただただ凄くて涙した記憶はある。
成功しなければ不名誉しか残らない、イチかバチかのチャレンジ。
今思っても、冒険家と呼ばれる人達には強い精神力だけでなく、
強運と豪胆さに加え、ある種空気の読めない無邪気な心とでもいうのだろうか
そんな性質が備わっているような気がしてならない。
こちらは併設のショップ。
食後、少しだけ外に出てみたがやはり浜風がきつくて寒い。
散歩するには、もう少し季節が過ぎるのを待つ必要がありそうだった。