人気ブログランキング |

新元号に寄せて。

正直、当初はなんだかぴりっとしなくてやぼったささえ感じた
『平成』の二文字とももうすぐお別れ。
(あくまで個人的感想である)

新元号『令和』の発表の日は千葉の長男宅に居た私。

長男家族はテレビを子供以外全く見ないし新聞もなく、
発表当日はネットニュースを見るにとどまったので、
各界の反応や一般国民の印象など、賑々しく報道する映像などは知らずに今に至る。
が、個人的には中々グッドな新年号ではないかと感じている。
「令和」・・・・字体の座りもよく(つまり書く時にバランスが取りやすい)
アルファベット表記がRになることや、文字の見た目また声に出した時
モダンな印象を受けるし、響きも冷涼な感じがして好ましく思った。
(これもあくまで個人的感想である)

そしてまた、日本最古の和歌集であり、日本民族の心の原点とまで言われる
「万葉集」からというのも、初の試みながら万人の共感を得られたのでは?とも思う。
天皇皇族から名もなき人々までが詠んだ歌が収められたこの書物からは
人々の思いだけでなく、当時の暮らしぶりまでもうかがえて
ひもとけば、壮大な古代へのロマンをも感じてしまうのだから。



f0250403_16244116.jpg


出典は以下の部分。

『万葉集』第五巻「梅花歌」三十二首の序文中にある
「初春令月 氣淑風和 梅披鏡前之粉 蘭薫珮後之香」

私の所持している↑の本、もう凄く古いもので
あちこちにチェックが・・・・・。
ここではすでに書き下し文で書かれているので
冒頭の部分を掲載してみよう。



f0250403_16562623.jpg


「天平二年正月十三日に帥(そち)の老(おきな)の宅(いへ)に萃(あつ)まりて
宴会を申(ひら)きき。時に初春の令月にして、気淑(よ)く風和(やはら)ぎ
梅は鏡前の粉(ふん)を披(ひら)き、蘭は珮後(はいご)の香(かう)を薫(かを)らす」

難しい漢字が並ぶので、読み方を並記した。
「令月」は良き日を表すが、「令」はすぐれた、いいつけ、長(おさ)などの意もあり
「淑く」はよい、しとやかなどの意。「珮」というのはおびたまの意、帯に着ける装飾品のことだ。

帥(そち)の老(おきな)というのは、太宰帥大伴旅人卿のこと。
彼の自宅にて梅見の宴を催す際に寄せられたというこの歌会の序文は
ネットなどでは彼が書いたとされているものもあるが、本書にはそうとは書かれておらず
さだかではない。当時歌会が開かれるとき、必ずしも主人が書くとは決まっていなかったようだ。

天平二年正月十三日に太宰帥大伴旅人卿の邸宅に集まって宴会を開いた。
おりしも初春の良き正月、天気も良く風も穏か。梅は鏡の前のおしろいのように白く咲き
蘭は匂い袋の様に香っている」(現代訳は本書より抜粋)

そしてこの序文の後に、32首の歌が掲載されているのだ。
とまあ、ここまでは新聞等の解説でご存じの方も多いだろう。

いまさら感アリアリ。



f0250403_16571352.jpg


ところで、この梅見の宴の主催者、大伴旅人について皆さんはどの程度ご存じだろうか。
彼は、万葉集編纂にも携わった有名な歌人として知られる大伴家持のパパ。
家持はもちろん聞いたことあるけど旅人って?
和歌にも古典にも暗い私だが、何だか妙に気になるこの人物。

wiki等によるとその大伴旅人は、この歌会を催す2年前に大宰府の任官を命ぜられて
当時63歳の老体ながら京都から九州の任に赴いたらしい。
歴史上、大宰府と聞くと何だか左遷なのかなあと思いがちだが、
当時はそうとも言い切れず、重要な役を担っていた場合もあったらしい。
でも彼の場合、諸説あってよくわからない。ただ歌人としての彼の歌は
太宰帥時代しか残っていないらしく、またこの人とてもお酒が好きだったようで
万葉集選出の78首中13首が、「酒を讃むるの歌」として収められていて
どれもその人柄を表すような人間味に溢れているのだ。



f0250403_18072549.jpg



以下の歌と現代訳は本書からの抜粋。

『賢(さか)しみと もの言ふよりは酒飲みて 酔泣(ゑひなき)するしまさりたるらし』
(偉そうに言うより酒を飲んで酔い泣きするほうがかえってまさっているにちがいない)

『なかなかに 人とあらずは酒壺に 成りにてしかも酒に染みなむ』
(中途半端な人間でいないで、いっそ酒壺になってしまいたいものだ。
そうしたら酒に浸っていられるだろう)

そして「令和」の元号が生み出される元となった序文の後に収められた
梅見の宴で大伴旅人が詠んだ歌も「梅花の歌32首」の中にもちろんある。

『残りたる 雪にまじれる梅の花 早くな散りそ 雪は消(け)ぬとも』 』
(残っている雪に混じって咲く梅の花よ。早く散らないでおくれ。たとえ雪が消えてしまっても)

彼はこの梅見の宴の少し前に、妻である大伴郎女を亡くしている。




f0250403_16284367.jpg


今回、「令和」の出典を確認したくて、
茶色く紙が変色しあちこちに書き込みがある「万葉集」を引っ張り出してきたが
読み進むととまらなくなり、気が付けば夕方になっていた。

そしてやっぱり万葉集といえば、額田王の歌。
「あかねさす、紫野行き標野行き 野守は見ずや君が袖ふる」
これ、女性には人気があるよねえ。
私もご多分に漏れず・・・・・。

だってえ。漫画も読んだし、宝塚歌劇でも観たんだも~~ん。



























# by marucox0326 | 2019-04-17 18:21 | 日々の出来事 | Comments(6)

照る日もあれば曇る日も・・・。そんな日々の戯言です。


by marucox
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る