ごく平凡な市井の人々の日々。
それは、朝起きて生活のために働き、
変わり映えのしない三度の食事を摂り
夜になればとりあえず床に就くといったありきたりの毎日。
そうやって繰り返される日々の営みの中には
突然やってきた解けない謎のような出来事に苦しんだり
波のように押し寄せる悲しみに出会って
ただひたすらに耐え忍び夜明けを待つ・・・・そんなこともあるだろう。
でも人はそんな中でも、
ささやかな楽しみに時間を割いてしばし心の充足を手にし
小さな幸福のかけらを抱きしめて生きていく。
何事もなく無事に過ぎた一日に感謝して・・・・。
「パターソン」2017年 アメリカ ジム・ジャームッシュ監督
先日映画館で観たこの作品
描かれるのはこともなげに過ぎてゆく日常。
同じ朝、同じ同僚との会話、
一見退屈にも思える展開のなさなのに
観終わった後、じわじわと幸福感に包まれてしまうのはなぜだろう。
それはこの作品の中に流れる「詩」というものの存在に他ならない。
ここでは「詩」が重要なファクターだ。
私は知らなかったが、このパターソン市から、医師にして詩人である
ウィリアム・カルロス・ウィリアムズという人物が輩出されていて
彼は長詩「パターソン」を書いていることに、監督がインスパイアされて
この脚本を書いたという経緯もあるようだ。
主人公パターソン(アダム・ドライバー・彼がすごくいい。さらに好きになった)は
アメリカのニュージャージー州に実在する「パターソン」という町に住むバス運転手。
可愛いらしいパートナー、ローラと愛犬マービンとつつましく暮らしている。
町の名と同じ名前を持つ彼は、穏やかで優しく暇があれば詩作に励んでいるが
有名になりたいとか、才能を世に問いたいとかという野心があるようにも見えない。
描かれる一週間の出来事は、毎朝二人が眠るベッドのシーンから始まるのだが
ちょっとした出来事は起こってもそこから大事件には発展しないまま
毎日はただ過ぎて行くのだった。
映画のシーンに重ねて、
画面にはアダム・ドライバー演じるパターソンが作った
詩の数々が映し出され朗読される。
この詩のリズムと深く抑制のある彼の声が
映像の中で川のせせらぎのように心地よく
彼らのなんということのない日常や風景を、ほんの少し色づかせていく。
英語はさほど難しい単語じゃないのに、この詩のニュアンスを
十分に理解して味わえないことがもどかしかった。
パターソンのパートナー、ローラを演じるのは
イラン出身のゴルシテフ・ファラハニ。
彼女はエキゾチックな美しさとユニークなファッションセンスを持ち
屈託のない笑顔で、200ドルのギターをネットで買うことを
パターソンに承諾させたり、あまり気乗りのしない彼に
書き溜めた詩のノートをコピーして発表するべきだと言ったりする。
でも可愛いらしくも拙い彼女の演奏を聞いてあげるパターソンの
(この曲がねえ、ちょっとびっくり。何故かは言えないけど)
穏やかな表情も限りなく優しい。
彼の周りを取り巻く人たち、その会話、そこにあるちょっとした可笑しみ
大きな事件は起こらずとも、妙な空気が流れたり、ズレた瞬間が訪れたりするのが
普通の生活を送る人間の常だと改めて思わせられたりした。
そして、偶然出会った詩を書きとめる少女とのほんの数分だけの交流が
その後の彼の気持ちに少しだけ変化を見せたように感じた。
一介のドライバーで終わるつもりだったかもしれないのに・・・・。
そんな彼はやはり詩人そのものだった。
だが・・・・・。
それにしても
ラスト近くに唐突に表れる「日本人」との短い会話のシーン。
演じる永瀬正敏のいかにもという感じの風体と、
彼が日本から持ってきたという前述の長詩「パターソン」の本。
なんだかすごく変だった。
永瀬さんは「ミステリートレイン」の縁で、監督から出演をオファーされたそうだが
大学教授?疲れた日本のサラリーマン?、あんな本の装丁ってあるかね、とか・・・・・。
しかしこの滝の流れる公園(グレート・フォールズ・パーク)の映像は
とても日本的だったし、このシーンは印象的ではあった。
もしかしたらこれもまた
あえてのジャームッシュの狙いなのかも・・・・。
久しぶりのジャームッシュ作品。
私には気持のいい余韻を残したが、好き嫌いはあるかもしれない。
引き続きジム・ジャームッシュ監督作品について
もう少しお付き合いくだされたし・・・・・・。