お盆休みに、帰省がてらツレと二人
大阪にも寄ってきた。
宝塚の実家までは車で往復し、
今は住む人もなくがらんとした家の中に寝泊まりをして
繁華街に繰り出すときは電車を利用する。
実家は駅に近いのでそのほうが車より便利なのだった。
阪急梅田駅から歩いてお初天神へ。
あれは2年ほど前
私はこの傍にある曽根崎警察署まで
忘れ物を取りに行ったことがある。
梅田の阪急デパートで忘れた傘が、
問い合わせたらここに保管されていたからだ。
当時母の介護で、名古屋大阪間を週一で往復していたとはいえ、
「傘一本、そんなとこまで行かなくちゃならないのか」と
己の粗忽さを棚に上げて恨めしく思ったものだ。
正式名称は「露の天神社」
この手の表記、なぜかよく見る。
文楽や歌舞伎でおなじみの「曽根崎心中」・・・・
宇崎竜童と梶芽衣子主演で映画化もされていたなんて知らなかった。
この門を出てお初天神商店街に向かう。
安くて美味しいお寿司屋さんがあるので
今日の目的はそこである。
でも営業時間きっちりの12時からしか入れてくれない。
ツレの学生時代、よく来たという
懐かしの食堂やらとんぺい焼きのお店やらを横目にぶらぶらと・・・・。
通天閣あたりにもありそうなお店の看板。
昨今は、関西弁も全国的に認知され始めて
この程度ではもはや観光客も驚きはしないのではあるまいか。
で、やっと入店。
まずオーダーしたのは鱧の湯引き。
近頃は愛知の飲食店でもメニューに載っているし、
近所のスーパーでも、化石のようにひからびた「鱧の湯引き」なら見かける。
でも夏に大阪の市場や普通のスーパーなどで、
骨切りをして開いた生の状態での鱧が
何匹も並べられて売られているのは圧巻の様である。
2貫ずつだと種類が食べられないのでまずは特上を。
ウニやアワビもあって私はこれで十分だった。
この日は平日だったので、サラリーマンも続々とやってくる。
ランチもお得なのだ。
この辺りには「お初天神裏参道」という路地裏が出来て
流行りのバルストリートになっているようだ。
だが、店を出てもまだ蒸し暑い昼下がり。
食後の散歩道にふさわしいかどうかは個人の見解に寄るところながら
アーケードの横に伸びた小路に入ってみる。
当然、小さな軒を連ねた店の殆どは閉まっていて
時折ビールのケースを担いだお兄さんが行きすぎたりするだけだ。
そんなひっそりとした昼間の路地裏は、きっと夜にこそ活気を帯びる場所だろう。
でもだからといって
すっかり人の気配は消されてしまっているのかといえばそうではない。
ランチ営業をしているエスニック料理のお店や
ハイカラを気取った喫茶店といった風情の店もあって
中で昼食を取る人がいるのだった。
大都会のビルの狭間に確かに感じる生活の匂い。
お蕎麦屋さんから、小さな子供の手を引いて若い母親が出てきた。
その何気ないいでたちを目にしたとき
この猥雑な空間にも、暮らしを営む人々がいることに
たまらない郷愁と愛おしさを感じてしまう。
そんな私は、大阪のミナミの真ん中で育った。
実家の家業は固い商売だったが、大通りに面した場所に店舗を兼ねた家があり
裏手には数軒の小料理屋があって、夕方になると三味線の音色や
酔客の怒声が聞こえてくることもあるのだった。
高校生になると、カラオケを設置する店も出始め
夜自室にいると調子っぱずれの大音声に悩まされた。
勉強なんてできるわけない・・・・・という言い訳は通じなかったが。
当時はテレビのホームドラマに出てくるような、
住宅街に建つこじんまりとしたお家に憧れたものだ。
「ここに住むの!?ボク」
10年前、京都の大学に進学が決まった次男は、
車も人も往来の激しい河原町通りに面した
古ぼけた小さなビルの中に下宿が決まった時、驚いて言った。
長閑な畑が広がる新興住宅街で育った彼にとって
商業地域の大きな通りに面した場所には
会社や店舗や飲食店はあっても
そこを住居として寝起きする人達がいるなんてことは
にわかには信じ難いようだった。
「お母さんは不思議でも何でもないけどね」
その後実家は二回の転居を経て
今、私の育ったその家は立体駐車場になっている。