知多・岡田エリアをぶらり。

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梅見のあと、ここからほど近い岡田地区まで足を延ばした。

ここは江戸時代中期、「中島七右衛門」「竹内源助」らが
木綿買継問屋株を取得して知多木綿の販路を全国に取得し
晒の技術も導入、「知多晒」として有名になった。

昭和30年ごろまで、知多木綿の中心地として
最盛期には3千人の女工さんが働き、賑わいを見せたという。

いまはそんな繁栄があったとは想像するのも難しい
静かな地域である。



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ー竹ノ内資郎邸と長屋門ー

長屋門には門番や従業員の部屋が残されており
脇には木綿蔵もあるそうだが中の見学はできない。

元々、庄屋や村長、都議などを務めた地元の名士「竹内家」
竹内姓がこの辺りに多かったため明治時代には「竹ノ内」と改めたそうだ。

そういえば知多地域全般、竹内さんはよく耳にする姓だ。




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明治25年には「竹内虎王」が動力織機の特許を取得。

それまで主に女性が農家の副業として機を織っていたのが
彼によって機械化の道へ。工場生産に力を注いだ彼は
竹内式織機の開発、販売にも尽力しますます財を成していったという。




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往時が偲ばれる広大なお屋敷。
この辺りにはそんな立派なお屋敷がいくつか有り、
子孫の方々は住まいしておられたり、手放されたり・・・・。





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一方の「中島七右衛門」は明治になって木綿買継問屋を廃業。
その後明治29年に番頭さんたちが資金を出し合い、
動力織機も導入し「中七合資会社」を設立。
こちらはその蔵だが、奥には当時の番頭さんの大きな屋敷跡が・・・・。



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昔の名残をとどめる民家。

テレビのロケにも使われたりしたらしい。



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ー木綿蔵ちた(旧竹内虎王商店木綿蔵)ー




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かつてはたくさんの働き手である女工さんのための
娯楽施設として映画館もあったらしい。

でも今は人のとおりも少なく時が止まったように静かだ。


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知多市初めての国の登録有形文化財である、「岡田簡易郵便局」
非常にモダンな建物で、今も見てのとおり現役である。
ただその背景には流転の歴史がある。

そもそもは伊井又兵衛という人が横須賀郵便局の出先として始めたのだそうだ。
この建物自体は明治35年に建てられ寄せ棟造り、桟瓦葺木造2階建て、
正面中央に玄関、1・2回の窓は左右対称に配置された洋風建築で
郵便局舎として当時は相当に目立ったことだろう。
全国から集まってきた女工さんたちはここから、故郷に手紙や仕送りをした。

その後、昭和になって狭いということで郵便機能は移転、
家具屋になったり、八百屋の倉庫として使われたこともあったらしい。
さらに時は移り、平成4年には取り壊しの話が持ち上がったが、
住民の中から簡易郵便局としての業務再開、建物保存の声が上がり、
平成5年に修理を加えて復活。
郵便業務が再開されるとともに平成6年には「岡田町並み保存会」が発足。
ボランティアの方によって、今も街並み保存と活性化への活動は続いている。



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古い建物を長く残すというのは
単なるセンチメンタルではできないことである。
壊されずに残ったのは、その時の篤志家の方たちの努力の甲斐あってのことだが、
平成25年に国の登録有形文化財の一つとなった
この「岡田簡易郵便局」
現在も郵便局として使われているというところが何より素晴らしい。






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ぶらり散策はまだまだ続くが
今回はここまで・・・。
















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by marucox0326 | 2017-02-28 17:41 | お出かけ | Comments(0)

照る日もあれば曇る日も・・・。そんな日々の戯言です。


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