そして今は・・・・♪
2015年 04月 27日
決して詳しくはない。
なにがって?
シャンソンである。
日本ではフランスのポピュラーソングを
すべてそう呼んでいた時代もあったらしい。
私にとってのシャンソンは
有名な詩にメロディをつけて、ドラマティックに仕立てたり
メッセージ色が濃く、しかも暗いといったイメージだ。
なんといっても細かなビブラートで聴かせる独特の歌い方・・・・・
若い時分は、うがいしながら歌ってんじゃないかと思えるような
あの節回しが私にはいまひとつ苦手だった。(ファンの皆さまゴメンナサイ)
もちろん聞いた話だが、戦後日本でもシャンソンブームがあり
シャンソン喫茶で有名な「銀巴里」からは数多のシャンソン歌手が輩出された。
リアルでは知らない若者も、その名前はよく知っているだろう三輪明宏さんも歌っていたし
古くは石井好子さんや高英男さん芦野宏さんなど。
私の年代だと岸洋子さんや金子由香利さんなどは多少なじみがある、
が・・・・。
1960年後半から、海外のポップスが一気に入ってきて、
中学から高校にかけての私は、アメリカだろうがイギリスだろうがイタリアだろうが
主にラジオから流れてくる、明るく洗練されたそれらの曲に夢中だった。
そう、カタカナで歌詞を書いて覚えたものである。
いまだにいくつかは口ずさめるくらいだ。
当時日本でもヒット曲を連発したフレンチポップスと呼ばれた曲のいくつかも。
たとえばフランス人形のような可愛い容姿だが
歌はどっちでもいい感じのダニエル・ビダルとか
ミシェル・ポルナレフは特にお気に入りだった。
だから、歌うのが大好きだった10代の女の子には
フランス語で歌を意味するchansonなれど
ピアフとかダミアとかグレコとかモンタンとか
なんだか黴臭くて興味の対象外だったはずだった。
高校生のころだったと思う。
でもなぜその歌を知ったのかはどうしても思い出せない。
ただはじめて聞いた時、ズキンと胸を射抜く衝撃を覚えた。
フランス語の歌詞の意味がわかるわけもない。
けれどそのメロディは私を捉えてしまった。
大好きなラベルの「ボレロ」のリズムで始まり、
ややしわがれた男性の声が語るように歌いだす。
やがて徐々に力強さを増し、絞り出すように響き渡るその声は
聴く側の気持ちを奮い立たせ、高揚感に満たしていく。
実は・・・・
後年知った歌詞の意味は、女々しく失恋を歌ったものだった。
『恋人を失い空っぽになった自分は今となってはどうしようもない。
ああこれから一体どうすればいいのだ』
と嘆き悲しむ(しかも結構長々と)という内容なのである。
ジルベール・べコー
「Et maintenant」
(そして今は)
べコーはブリジット・バルドーと別れてこの曲を書いたとか。
その時訪ねてきた失恋した女友達のために書いたとか。
いずれにしても・・・・。
偶然の出会いは世界を広げ、知らなかった喜びを教えてくれる。
その後幾年月かを経て、伝統的なシャンソンにも興味を持った私。
名曲「ミラボー橋」も「暗い日曜日」も時に聴きたくなる。
「あんさんそりゃ、お年のせいちゃいますのん?」
「おだまりっ」
ジュリエットグレコさんくらいしか知らないかなあ〜
マリーラフォレ、は違ったかなあ?
たぶん高校生の頃なら知ってたんですが^^;
ミッシェルポルナレフ は大好きです!
愛の休日、とか🎵
高校生の頃、フランス映画が好きだったんですよ。
ボルサリーノとか友よ静かに死ね、死刑台のメロディー。
銀巴里は何回か行ったことがあります。
1990年まで銀座7丁目にありましたから。
跡地は「モンブラン・ギンザビル」ですが、今はその前に「銀巴里」という石碑が建ってます。
シャンソンでいうと、イヴ・モンタン(枯葉)、エディット・ピアフ(バラ色の人生)、
アダモ(雪が降る)までは覚えてますが、日本のシャンソン歌手はあまり印象がありません。
そして暗い日曜日はダミア、ミラボー橋の歌手は忘れましたが、
詩がアポリネールで、セーヌ川にミラボー橋が架かってるので印象深いです。
なに、年だって???
シャンソンに、年なんてアリマヘンゼル・グレーテル(笑)
ジュリエットグレコはシャンソン歌手の大御所として
有名ですね。今もご健在だそうです。
マリー・ラフォレは「太陽にいっぱい」で
アラン・ドロンと共演、可愛かったですね。
彼女は歌手でもありました。
あの裏声にやられましたよね。ポルナレフ・・・
って、28歳にしてこれだけご存知なら十分です^^;
昔のフランス映画はよかったですョねえ~
私も「銀巴里」閉店のニュースは覚えていますが、
行ったことはありません。さすがザギンはお詳しい。
日本人にとってシャンソンといえばまず、陽気な
「オーシャンゼリゼ」が頭に浮かぶんでしょうが
プラスさんが挙げられている曲をはじめ
実は歌詞も曲調も結構暗いものが多いんですよね。
ミラボー橋・・・・いろんな方が歌っていますが
有名なのはイベット・ジローでしょうか。
私も堀口大学訳の詩集も持ってます。
彼とマリー・ローランサンの恋を想いながら
Parisにいった際行きました。
音楽には国境もなければ老境もないのだ!
楽しみましょう^^
私はフランス語の響きに憧れて、シャンソンをレコードに合わせて歌ったり、聴いたりしていました。ユーミンの影響もあったような・・・。
フランソワーズ・アルディー「さよならを教えて」「もう森へなんか行かない」・・・とか。
また、マリーローランサンの雰囲気にも惹かれ、よく諳んじておりました。「本当にかなしい女は、忘れられた女・・・」などなど。フランスに住みたかったのですが・・・♪
ジュリエット グレコもまだ現役ですよ〜。びっくりする年齢ですが。
グレコもピアフも、大好きです。イヴ モンタンは私には映画のイメージが強いです。
あ、フランス語だと、ちなみに歌の事はシャンソンと言うので何でもシャンソンなのですよ、本当は、、、。
伝説のシャンソンバー行ってみたかったです。
うわ~70年代にかけてのフレンチポップス
アイドル的存在のフランソワーズ・アルディですね。
私も好きでしたよ。
ミシェル・ポルナレフやシルビー・バルタンとか
とはちょっと違ったでも同時代の人ですね。
当時仏映画のナタリードロンとかドミニクサンダとか
昔記事にもしたんですが、ジョアンナ・シムカス
(この二人はフランス人ではありませんが)とか
美しいけれどマニッシュな顔立ちの女優たちが
大好きでしたが、彼女もその系統のルックス。
何だか色々甦ってきましたが長くなるので
この辺にしておきます^^;
シャンソンはフランス語で「歌」。
ですからポップスも何もないのだけれど、彼らの曲は
やはり古典的なものとは一線を画すと思います。
フランスお好きなんですね^^
いえいえコメントありがとうございます。
はい、ラパンさんのグレコの記事から
インスパイアされまして^^;
おっしゃる通り、フランス語では
「歌」という意味ですね。
でも日本人の感覚だとフレンチポップスと
古典的シャンソンはちょっと別物。
70年代は青春真っ盛りだったので
多種多様な音楽に影響されていましたが
この年になりあらためてピアフやダミアを聴くと
しみじみいいなあと・・・・^^;
「銀巴里」・・・・・跡地に石碑が建っているなんて
あらためてすごい場所だったんですねえ。