受験の神様
2014年 01月 24日
日本列島のあちこちで
机の前に座り、スタンドの明りの下
おそらくはこれまで生きてきた中で
一番、勉学に励んでいるであろう
受験生と言う名の戦士達。
子供のころ、キュリー夫人の伝記を読んだ時、
貧しい学生の彼女は、食べるものも食べず、
暖を取るストーブにくべる石炭を買うお金もなく
あるだけの衣類を着込んで、さらに重い学術書を膝に乗せて
寒さをしのぎながら、勉強をしたという記述があったのを思い出す。
それほどまでに学問への愛情を持って
勉強している学生が、どれほどいるかは知らないが
進学と言う目的のために、懸命に頑張っている彼らすべてに
喜びに満ちた、輝ける一瞬が訪れてほしいと願うばかりだ。
10年前、初めての我が子の大学受験。
それは高3の6月半ばごろから始まった。
通っていた高校のほとんどの体育部が、高2の2学期で引退なのに
彼が所属のバスケ部は、高3のインターハイまでは練習し、試合に出る。
全国まで勝ち進めば夏まであるわけだが、さすがにそれほど強くなく
かといって、県大会で1勝は揚げるチームではあった。
「ご飯は○時と×時にね。
後はお母さんのペースで、出かけるなり、昼寝するなり
夜もとっとと寝てくれていいから。僕には気を使わないで。」
と宣言され、こっちも言った。
「塾の模擬試験の結果はいちいち知らせて
くれなくていいから。でも良かった時だけは見せてね。」
と・・・・。
かくして、私は食事の用意はするものの、友人との会食や遊びに出かけ、
夜も階下でテレビを見て笑い、12時にはお休みと声をかけて床に入り、
摸試の結果は一度も見たことがないまま、冬を迎えた。
実際のところ、浪人は覚悟していた。
だから、彼には誠に申しわけないが、
親も期待値が低い分、精神的には
落ち着いていられたのかもしれない。
でも何より息子はいつも明るくて、(もしかしたら
思いつめていたこともあったのかもしれないが)、
家の中に重苦しい空気がのしかかると言う感じはなく
今更ながら、親はそんな子供に助けられていたなと
感謝の思いすら湧く、そんな日々だった。
「おかあさん、出たよ!C判定」
ある日、送られてきた封筒を開いて結果を見た彼が叫んだ。
それはほとんど最後に近い摸試だったが・・・・。
彼の現役合格は、奇跡だったのかどうか。
ただ
受験の神様はいつだって
努力した者を、ちゃんと見てくださっているのだと信じたい。
でももしかして、苦く打ちひしがれる結果が待っていたとしても
それは、長い人生のちょっとしたつまずきでしかないはずだ。
だから、
また頑張ろう
美味しい食事を用意して、いつも暖かく迎える
親でありたい、笑顔の準備だけは怠りなく。
そんな風に思っていたし、今も思っている。
どんなに厳しい冬の後にも、必ず雪は解け春は訪れる。
そして
柔らかなその陽ざしは皆に等しく降り注ぐのだから。
受験生の皆さん
どうか最善を尽くされますよう。
現在は 下の娘が高校受験ですけれど・・・(あまり 力の入ってない私です(^_^;)
いよいよ 次は息子の大学受験です。
marucoxさんの このタイトルの記事 お気に入りページに登録して
私への応援歌としても ちょこちょこ見に来てるかもしれません(笑)なところも尊敬です。
次男さんの時には・・・どうだったでしょうか?
また お聞かせくださいね。
まあそんなそんな・・・・。
親御さんの受験生であるお子さんへの接し方は
それぞれだし、小学校や中学受験は
まだまだ親のサポートが大事でしょうし。
ただ、受験シーズンになると
もう記憶もおぼろげな昔のことを、
やっぱり思いだしてしまうのです。
そんな母親の感傷を、そんな風に
言っていただいてありがとうございます。
そうはいっても私も当時はやっぱり、
目が三角になっていたかもしれませんし・・・^^
次男ね・・・彼は一浪でしたけど
まあこれもまた、いろいろありましたよ^^
お嬢様、あともう少し、陰ながら応援しています。
懐かしい話が割と詳しく書いてあってびっくりしました、そんなこと言ったっけ?笑
あの時はご飯とアニメ スラムダンクだけが楽しみでした、
またうまいご飯食べに帰ります、よろしくー!